2016年01月05日(火)
土佐黄金 [竹内と寒蘭]
「土佐黄金」
土佐黄金は竹内が平成15年命名している黄金葉の桃花だ。
命名の時は自分は桃と言うより紫の強い花だと記憶している。
本部展で命名したが、命名披露もなく平段にひっそりとあった。画像はその時の物だ。
命名してから12年も経っているが本株はこんな状態だ。
私の所に来て8年全く芽数が増えていない。新芽は2年に一回しか出ないし、出たらバックが枯れてくる。そんな蘭だ。
この画像は平成17年に撮影している。命名後半分になった株に花を付けていた。
土佐黄金は最初「黄金の光とか華?」と命名しようとしていた花だが、他にあると言うことで土佐黄金になったのだが土佐は高知の土佐でなく西土佐村の土佐だ。竹内の山採りで坪は竹内の山の一つだ。自分は早くに坪を教えてもらっていた。
黄金葉の坪だと教えて貰ってから15年、土佐黄金の花を知ってから10年この坪へは自分は何度も出かけた。最初は年に4,5回だったがこの花が咲いてからは芽時期には月に3,4回は坪をまわった。残念ながら黄金葉は一本も採ることが出来なかった。青い葉は結構採ったがここ2,3年は死に坪状態だ。竹内が採ったのは20年以上前なのでこれから兄弟木が出てくる可能性もない。
残されたこの株をなんとか作り上げて後世に残したい。ちなみに命名後の株の半分はN氏の棚にあるがそちらも瀕死状態だと聞いた。
Posted by 管理者 at 2016年01月05日(火) 17時00分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2015年12月27日(日)
「風月」 [竹内と寒蘭]
風月も竹内の代表的な花です。
昭和62年に命名しているこの花は竹内家の裏山に生えていた。昭和46,7年頃採取していると思う。元刷毛の蘭が数本生えていて風月のような花が咲いた株は一つだけだった。私は坪取りを貰っていたが、葉姿こそよく似ていたが花は全く違っていた。
竹内の人口交配種ではないかと思われそうだが、竹内の交配はそこまでは古くなく竹内が交配を始めるずっと以前の蘭のようだ。
画像は私の風月だが出芽の時はきれいなピンク芽で来るが葉先に刷毛は入らない。全体的に白く出た後葉先から緑がのりバルブ近くはしばらくは白いままの元刷毛種だ。
竹内の咲かせた風月の花を探したが見つからなかった。
私の記憶では平肩に近い三角咲き更紗で弁元は桃がかっているが先になるにつれて白地に緑線が入る青更紗だったと思う。
画像は私の所で咲いた花だが12月に開き桃花になった。
竹内の所では決して桃には咲かなかった花だ。
Posted by 管理者 at 2015年12月27日(日) 18時04分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2015年09月23日(水)
「緋月」 2 [竹内と寒蘭]
竹内の緋月は私のところに来て間もなく花を付けた。
画像の花がそうだが、棚の一番南端に置いただけだったが血のような色の紅が咲いた。
写真を人に見せたがこんな色の花は無いとあっさり言われたほど写真の紅は鮮やかだっだ。もちろん本物もだが。
この小さな木に花を付けたのがいけなかったか翌年作落ちし次に花を見るまでに10年以上かかった。今になって原因がわかったのだが薬剤の潅注が根を傷めていたようだ。なんとか育て上げないといけないと思い気がつけばダコニールなどの潅注をしていた。普通の蘭は年に2,3回潅注しても生き生きとしていたが、この蘭を含め黄金葉は多めにやったので根が糸のように細くなり毎年出る芽が大きくならなかった。
別ルートで入れた緋月
竹内から緋月を貰えるとは夢にも思っていなかったのでちょうど1ヶ月前に小苗を購入していた。
こちらは平成18年に花が付いた。
Posted by 管理者 at 2015年09月23日(水) 05時52分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2015年09月21日(月)
「緋月」 [竹内と寒蘭]
竹内からは寒蘭栽培に役立つ多くのことを学んだが、真似できない失敗事例もいくつか見せてもらった。
この「緋月」も平成6年12月までは竹内の蘭舎にあった。
この株の半分も無い中木に小さな花を咲かせていた。西谷と同じ発色棚で咲かせたと言っていたが株が小さかったのと光量が少なかったのか更紗の貧弱な花に咲いていた。
あまり大切にしていなかったので「いらないのか」と聞くと「いらない」というので貰ってきた。
見た感じ竹内の好きな花の感じでは無かったが、来歴を聞いてびっくり!芽を60万ほどで買っていたのだ。といってもそのころは風月を持っていて芽70万の風月と豊雪だか銘品を足して代えていたのでお金は出していなかった。
十川の黄金葉紅ベタ。画像は昭和の58年の物だ。
後で解ったが、当時黄金葉に紅ベタが咲いたというので一世を風靡した有名な蘭だった。
偶然であったが自分も別ルートで平成6年に10センチほどの2芽の小苗を8万円で入れていた。
当時は幼木だった金紫鳥と同じだったと思うが、竹内は黄金葉を上手く作れずにいた。新芽を袴の時に痛めていて大きな芽に出来ていなかったのだ。肥料のやり方と農薬の使用を誤っていたと思う。
何でもそうだが一度こじらした蘭はなかなか回復しない。特に購入した物は前の持ち主の環境=根圏を引きずってしまい自分の環境になじみにくい。無理になじませようとして肥料を多くやったり必要でも無い農薬の潅注をしてみたりしたのだろう。
黄金葉の作り方については自分も後になってようやくマスターしたが、竹内の十川の黄金葉紅ベタが私の蘭舎でまともになったのはここ5,6年だ。
やっと昨年「緋月」と命名するに至った。
Posted by 管理者 at 2015年09月21日(月) 16時51分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 3 )
2015年09月11日(金)
竹内の蘭舎 [竹内と寒蘭]
西土佐に行ってきたので竹内の蘭舎を撮ってきた。
こちらの家に人が住まなくなって5年。家の裏にある蘭舎は悲惨な状態だが、ここがタケウチコレクションの原点だ。ここで育てた蘭で数々の賞を取っていた。
撮影は14時36分。
右の建物は古屋で物置。その西隣に開花室をこしらえていた。
草で覆われているので解りづらいが画像中央の4畳半ほどの小屋だ。毎年9月にはここに花芽の付いた蘭を持ってきていた。主に色物の蘭で床は谷水が流れコンクリートブロックの上に2鉢ずつ蘭を置いていた。
画像では草に覆われて見えないがこの奥に2つ蘭舎がある。
右が古い蘭舎で左が新しい蘭舎。右の蘭舎は半分日陰に入っているが、陰ってきたのでは無くこれから日が当たるところだ。
山際で土地が無かったのもあるが、日を求めて住居から10メートル以上高い場所に蘭舎を建てていた。
竹内と展示会に行っているとよく言われていた。
「西土佐村は夏涼しくて蘭には良いところだろう」と立地が良いから色物が良く咲いているのかと思われていた。しかし口屋内は標高40m位しか無い。この発色小屋でも50m前後だ。ここで色付けするのは至難の業だったと思う。ちなみに夏は高知県一暑い。
Posted by 管理者 at 2015年09月11日(金) 20時12分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 3 )
2015年09月07日(月)
「緋の舞」 [竹内と寒蘭]
叔父の残した蘭には金紫鳥以外にも私が命名したものだけで8点ある。「恵」「里紅」「鈴華」「結」「紫音」「紫月」「緋の里」「緋月」などだ。竹内の命名では「満天」「金華鳥」「土佐黄金」「緋の舞」「風月」「土佐小町」「清流殿」がある。
今回は「緋の舞」を紹介する。
画像は平成25年のものだ。
このときは4芽に花が付き花茎の伸びが悪かったが花一輪は満足のいく花だった。
こちらは平成22年
大株に花が付いている。この頃は新芽が複数付いてどうしても花が弱かった。
昨年は花芽が付かなかったか早く掻いたため花を見ていない。
今年は良い株になったので期待している。
この何年か葉作りに力を入れた。複数芽が付きやすい蘭なので芽掻きで1芽にし大きな葉になるように作ってきた。
画像は会誌の紹介ベ−ジだ。花は葉の上に伸びているように見える。これが本来の命名株だ。緋の舞の命名は平成2年だが、そのときの花は葉上高くよく伸び上がっていた。
私は竹内が居間に写真を飾っていてよく目にしていたので自分のイメージではこの花は決して藪咲きの癖は無いと思っていた。
私のところには平成5年にバック出しの小苗が来ていた。もちろん命名株だ。それから20年以上経ってやっと満足のいく株ができた。
緋の舞は竹内の山採りではなく、十川の知人が咲かせたのを購入した物だ。坪採りがどれほどあったか知らないが、この命名株はそんなに出回っていないと思う。自分が展示会で目にする緋の舞と竹内の緋の舞のイメージがかけ離れているのだ。
Posted by 管理者 at 2015年09月07日(月) 19時51分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2015年09月05日(土)
金紫鳥2 [竹内と寒蘭]
画像はバック出しの金紫鳥。この株は昨年の11月に割った3年生の親に今年の新芽がついたものだ。52センチ5枚葉と28センチ5枚葉の2芽。オークションに出品しようかと思っていたが、安いところから始まるオークションではあまり高くならないで落札となると前に高く買ってもらった人に悪いので、そんなんで出品を考え中だ。
金紫鳥は平成21年本部優勝してから分譲希望があったが、増やしたくて売りたくないので売るのなら芽20万としていた。買い手は無いだろうと思っていたらその後20万でも良いと買い手があり仕方なく売ったのだが、その人に売った手前、後もすぐには安くできなかった。そんなこんなで昨年までは成木芽15万相当で買ってもらった。
これを売るとしたら2芽として30万円になるが今年はそうはいかないだろう。
こちらは竹内の桃無点。
二株の寄せ植えで手前の新芽が見えているのが桃無点だ。
桃無点は平成4年から作っていて未だにこのサイズだ。20センチほどしか無い。
メインブログに載せた宮渕の桃無点も金紫鳥もこの桃無点も兄弟木であり同じ山から出ている。
この桃無点の葉立ちと金紫鳥の葉立ちがよく似ていることに気がついた。この桃無点の花は昭和60年だっかそこらで一度見ているのだが写真は無い。今思えば金紫鳥によく似ていたかもしれない。ただし、光線が少ないところで咲かせたか、近くで見ると白地の花弁に紫紅線の入った更紗で離れてみると淡い桃色に見えた。舌は透き通ったような白さだった。
竹内は金紫鳥をこの桃無点の坪採りとして早くから栽培していた。平成に入ってすぐにも金紫鳥と思われる黄金葉の蘭はすでに竹内の蘭棚にあった。
竹内は黄金葉を多く作っていたが、花が咲くまでに至らなかった苗も多い。なぜなら何度も枯れる寸前になっていたからだ。実際桃無点は竹内のところでは枯れている。金紫鳥も何度も新芽を痛めてだめにしていた。原因は肥料と消毒だったと思う。良いものに限ってダコニールの潅注をよくしていた。肥料で根を傷め農薬で蘭菌を殺せば思うような生育はできない。特に黄金葉は難しい。
Posted by 管理者 at 2015年09月05日(土) 20時05分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 2 )
2015年09月01日(火)
金紫鳥 [竹内と寒蘭]
金紫鳥の命名は私だが、この蘭は竹内がずっと大事にしてきた蘭だ。
竹内が最後まで残した蘭が50鉢ほどあったがその中の一鉢だった。
平成19年5月28日に私がそれを預かった。
その50鉢は約40年の竹内の蘭人生のなかでどうしても手放せなかったものだったと思う。
すでにそのときは大株だったので秋には花を付けた。
わたしは驚いた。こんな花があるのかと・・・
竹内の植えていた鉢だったと思う。
牧野植物園で優勝の知事賞をもらった。
翌年、中村支部展出品時に「金紫鳥と命名」。竹内と相談しその竹内の命名品「金華鳥」から2文字もらって金紫鳥と名付けた。
すぐさま来歴を問うたが、そのとき20年以上前から作っていたと言っていた。私が竹内の蘭舎に出入り始めた時から蘭棚の一番良い所に鎮座していた蘭だったのだ。
続く
Posted by 管理者 at 2015年09月01日(火) 04時41分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2015年08月30日(日)
満天 [竹内と寒蘭]
1091 満天 まんてん 桃花 幡多郡西土佐村 平成14年 竹内国芳
花は桃色で正三角の四方咲大輪。舌は巻舌で黄白地に桃の細点を散らす。花茎は桃紅のやや木幹で葉上に抜け花間は広い。葉は淡緑、並の中垂れ葉。花5.5×0.6cm 花茎51.0×6.0cm 葉47.0×1.2cm
やっと満天に花が来た。
遅いので今年は休みかと思っていた。
竹内の蘭で一番竹内の蘭らしいのはやはり「満天」だろう。
本部点で金賞(宿毛市長賞)をとったのを機に命名したが、その年のNHK朝ドラの「満天」から名前を頂いたものだ。
画像は竹内の葬儀の祭壇。今年の8月9日に81歳で亡くなった。
私は満天の鉢を遺影の横に飾った。
この満天を土葬なら一緒に埋めてやれたのだが、火葬なので棺に入れるのは叶わなかった。
なぜらしいかと言えば、竹内は桃花はより桃に黄花はより黄色くなるように交配を考えていた。後にも先にもこれ以上の桃花は出ていない。
14年の本部展は私と一緒に出展したが、出品の朝叔母に満天と名付けたらおかしいだろうかと心配げに話していたのを覚えている。自慢の一品だったと思う。本人にとっては満点の花だったはずだ。
Posted by 管理者 at 2015年08月30日(日) 19時42分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 4 )